ARとはカワサキが1981年春に発売をしたカワサキ初となる原動機付き自転車
よく言う「ゼロハン」
(敢えて使います。)です。

発売前バイク好きの間から「あのカワサキが原付を出す」と、言う噂が流れ
当時最小排気輌車はKV75の75tでして、当時のカワサキファンからすれば

「ゼロハンなんてガキの乗り物をカワサキが出すのか?」

「そんなの認められっか!!」

「カワサキがプライドを捨てた。 もう乗るか!」

まるで10代の出来ちゃった婚を許してもらおうと女の子の家に彼氏が
挨拶に来た時の親位の衝撃を受けた様な感じで非難轟々でありました。

今でいう所のトヨタが軽自動車を売る位の衝撃と言った所でしょうか?
更に(今もですが)カワサキファンと言いますと阪神ファン並に凝り固まった方が
多くカワサキも色々と苦慮をしたとか聞きました。

 

「どんなのが出るんだ?」
「まさかラッタッターではないのだろうな?」 
「そんなの出したらカワサキに火ィ点けたる!!」



そんな過激な発言も出る中ARは発売をされました。
一部でゼロハン初の水冷エンジンでは無いのかと噂も立ちましたが

外見はカワサキらしい当時のカワサキの人気車種Z400FXを踏襲し、
足回りは当時のGPレーサーKRから来たカワサキ初の一本サス
「ユニトラック・サスペンションを」搭載し、ゼロハン初の6速ミッション、
初のセパハンにバックステップスタイルを装備しエンジンは空冷とはいえ
当時のKX系ベースからの転用で自主規制一杯の7,2馬力を発生。

当時のフレーズで「リッター辺り144PSを発生」と、過激さを売り物に
デビュー致しました。

これなら当時のカワサキファンも納得の内容で、出来ちゃった婚でも
出来た子供は可愛いと言う親と一緒かどうかは分かりませんが(?)
カワサキファン以外にも受け入れられてそれ相応に売れました。

 

発売当時のライバルはホンダMBー5、ヤマハRD50、スズキRG50と
皆空冷でしたがAR程過激な装備をしてるのも無く「AR最強時代」で有りました。

 

ライバル社も黙ってみてる訳では有りません。
ヤマハのRZ250から始まる【バイクのビック・バン進化の序章】の時代、

ARの刺激によりゼロハンも過激に進化を始めたので有りました。
まず、ヤマハがAR発売後間もなく【RZ50】を発売。原付初の水冷エンジンを
引っ下げデビューしたのを皮切りにホンダからはMBX50、スズキからはRG50Γと
あっという間に型遅れのマシンと成り下がりました。

 

前記しましたが80年代〜90年代前半は【バイク進化ビック・バン時代】と言い、
今の携帯電話かパソコンの様な劇的進化を数年でこなしてしまう時代でした。
その中にあってもカワサキは頑固一徹星一徹ARをリミッター着けテール廻りをGPZ−F風に
替えた位でほとんど進化させず売り続けました。  

「U」の出た84年位から90年代前半は【AR冬の時代】と言い

「ARだって。ダッセ〜! 空冷オセー!! 」って峠のバリマ小僧君等にバカにもされていました。

 

逆にこれが功を成したのか(?)他社のゼロハンが過激進化して行きユーザーは
ゼロハンから中型車、大型車、四輪へステップして行く「踏み台」とでしか
受け入れられなかったのに対してARはカワサキ特有の(?)マニア体質がユーザーを引き付け
ゼロハンとしては珍しい「オーナーズクラブ」が出来てしまい

「AR!! 懐かしー シブイ!!」って言う風に見方も変わり
今の【AR小春日和時代】に至ります。

 

発売されて20年以上経ち10代、20代の若者達は「カワサキの旧車っスか?」
と、少々あがめ立てた様な目でARを見ます。

 

自分としてはタダの少々古い原付としか見てないのにこれも時代の流れでしょう。

 

 

同期のライバル車と違いオーナーズクラブが存在するAR。
これがARに取って良いのか悪いのかは分かりませんが
これからも乗れるだけ乗って行き大事にして行きたいと思ってます。