ARとの出会い


私が18歳だった頃、丁度第一次レプリカブームでして、ご多分に漏れず仲の良い友人達がバイクに興味を持ち出しまして、自分も次第に興味を抱く様になりました。
良く分かりませんでしたけど、RG250ガンマ、GPZ400R、フェーザーとか漠然と名前だけは覚えて行った頃、とりあえず原付免許を取り、バイトで稼いだお金で“ヤマハポップ・ギャル”を新古車5万円で買いました。 友人達もジョグ、チャンプ、スカッシュ等を買い一緒に走りに行こうと、言う事になり走ったのですがコレマタ遅い;ポップギャルではついて行けなかったのです。  
(ちなみにポップギャルの最高速度は50Km/hでした(苦笑))友人のジョグに乗せてもらった所、速い事速い事。 原付なら速さは何でも一緒と思っていた自分にはショックでした。

ポップギャルは本当に遅かったです。ノーマルモンキーに抜かれ、オヤジカブに負けて流石にアタマに来て「こんな遅いバイクなんていらんわ!!」と、思ってた時、又別の友人がMBX50Fを買ったのです。当時、原付はスクーターだけと、勝手に思い込んでた(笑)自分には「プロト・カルチャ〜っ!!」位なショックが有りました。  こんな普通のバイクと同じ位の大きさのモノが原付免許で乗れるなんて。  しかも聞けばリミッターカットと、言う物を付ければ100Km/h近く出ると!! これを聞いたとたん「ギア付き50絶対買っちゃる!!」と、心に誓いギア付き50を物色し始めました。

ギア付きフルサイズ50は各社から出ていて「カワサキの50ccはGPZ400Rみたいなシブイ奴かな〜?」と、雑誌で調べて見たら、ありました“AR50S”と言うバイクが!!
最初に見たのがライムグリーンの50Sでして、見た瞬間「なんぢゃこのバッタみたいなバイクは!!!」初めてのARとの出会いの感想はこんな感じでした(笑)

MBXは友人が乗ってるし、RG50ガンマは自分のガタイがデカイのでイマイチ、RZ50とAR50Sが最後まで購入するか悩んだ2台でした。「RZは水冷エンジン、ARは空冷・・・。やっぱ水冷の方が・・・。でもRZ50のガキのオモチャの様なホイールがどうしても気に入らず(当時火焔ホイールとは知りませんでした。)ARは空冷だけどホイールがカッチョイイしFディスクプレートに穴が空いてたし、黒いARはカッコもナカナカだし(やっぱ最初はライムグリーンに抵抗有りまして;)よし、ARを買ってしまおう!!」とAR購入を決心しました。買ったのが‘85型AR50Sエボニーカラー新車価格で何と¥116000で買えました。(当時は人気無かったのです;)納車で家に来た時お店の人がナンバー付け忘れて付いてませんでした。

ギア付き車は初めてでしたので最初の3日間はエンストの連続;ガス欠になって押して給油に行って不思議がられてましたようやくマトモに乗れる様になった時の気持ちはクララが初めて歩いた時位の感動モノでした☆☆☆  
ARに慣れた頃位からまずは100キロメーターとリミッターカットを購入し装着。85Km/h位出るようになり車の流れにも着いて行けるどころかリードも出来るし、中型バイクにも勝つ事もあったので「俺のARはもしかして世界一速いんではないか!?」と、ティーンネージャーなら一度は錯覚する(自分だけか?)妄想に酔いしれてました(笑)

 

そんな妄想もGSXーRにブっちぎられすぐさま醒めてしまいましたが・・・・;

 

バイクのパーツやカスタムも覚えて行き、更なるバージョンアップを目指し当時のレプリカブームならではのフルカウル化を敢行、当初“GPZ50”と名付けましたがすぐさま“KR50”に名称変更しましたが(↓の写真参照)この写真を当時人気絶頂の“バリ●リマシン”に投稿した所見事“☆秀☆”を取り有頂天になりました☆当時行ってた東京の某美大からの帰省で国一 を走っていて静岡市の市街地の左の路側帯をすり抜け中、いきなり左折して来たライトバンをよけた所、縁石に激突カウルは大破! まぁそれでも何とか自走で帰っては来ましたが2週間程して頭が痛くなったので病院で見てもらった所「脳内出血してるよ〜っ 即刻手術ぢゃ!」と、言われ初めての入院;その間もARの新しいカウルの事とか、モーターショーでデビューするKR−1の事で頭が一杯でしたけど;
退院後、雑誌でコー●ンモータースから西ドイツ製の(当時)“ピッチラーカウル”と言うのが目を引き(↓写真参照)購入なんともエゲツナイカウルで材質はABS&塩ビで出来ており、ステーも含めると12,3キロ有ったのでは無いかと思いました(笑) 西ドイツ製なのかBMWっぽいカッコでしたので悪乗りして、カウル内にメーター類を装着(↓写真参照)真ん中のメーターは目覚まし時計でして、10時からレッドゾーンです(何が?) コインケースやらヘッドホンステレオとスピーカーを装着し次いでにエンブレムもBMWのを付けて“R80AR”と、名乗ってました(あ、そうそう余りの重量加算に対応する為80ccにボアアップしました。) このR80ARで街中を走ってましたら街中のオヤジ達の視線が熱い;モノホンのBMWのR100RSにピースサインされるし、信号待ちしてたら4輪BMW乗ってるオジサンに「原付でBMなんてあんの!?」とか聞かれたりとかしました (^v^)

そうしてる間にKR−1を新車を速攻で購入余りの速さに驚かされてまたもや「KR−1ってもしかして世界一速いバイクなんぢゃないだろうか!?」なんて妄想に耽ってましたら、当時やってた某漫画家のアシスタントの帰り道にネズミに引っ掛かり72Km/hオーバー9万円の借金を抱えたりもしました(TT;

で、ARはといいますと段々BMWモドキに飽きが来てた時にゼファーから始まる3京カスタムブームに影響されてネイキッド化(と、言うのか??)しまして現在に至る訳なのですが気が付けばうちのARも購入して14年もの歳月が流れてたりしました。 
そんなに経った気はしてないのはず〜っと1度も乗り換えずに来てるせいなのかも知れません。ARオーナーズクラブは1992年設立しましたが、その件の詳細はAROCの歴史のページで掲載してます。

これからも多分死ぬまでARには乗ってる事でしょう。あんなに解り易くて乗ってて楽しいバイクは自分には有りませんからね。 今の友人関係のほとんどはARで出来たようなモノです(笑)  ホントARと出会えて良かったです (^-^)

 

でも、乗ってたポップギャルが数年後、限定車の“ミッドナイトスペシャル”と気が付き、
手放した事をちょっち後悔してたりもしてます。     

          

GPZ50!? BMっぽくしたらオヤジ系の視線がアツかったです(^_^;) ピッチラーAR
GPZ50!? R80AR  ピッチラーAR