〜AR125の誕生〜

1983年2月25日AR125は誕生しました。
先に発売されたAR50/80とは一線を画すカワサキ国内販売初の
水冷ユニットを持ち当時のGPレーサーKR250、350と同じ
ロータリーリードバルブを採用。AR50/80との共通点と言うのも
少なく、強いて挙げるとすればユニトラックサス、5本スポーク
ホイール位で(この2つも当時発売されたカワサキ他車種にも
採用されたので絶対共通項とは言えませんが。)どちらかと言うと
KR250の125版と言う方が近いのかも知れません。

 

〜当時のAR125の存在価値〜

今もそうですが、国内での125tと言うのは中間排気量と言う事も有る
せいか余り人気が有りません。 それでも敢えてカワサキはこの排気量
に国内販売初の水冷ユニットを与えた最新鋭車を投入した辺りからも
当時のカワサキの意気込みを感じます。

当時のライバル車と言いますとRZ125位でMBX125、125ガンマも
発売されておらずSPレースになりますとRZとARとの一騎打ちが繰り広げら
いたそうでロータリーリードバルブの特性からも高回転チューンが得意で
「AR125に敵無し」とかも言われていたそうです。

ところがそんな時代も長くは続かずMBX125,ガンマ125の登場、
RZ125もYPVSを装備しAR125はあっという間に型遅れのマシンに
成り下がってしまいました。 その後86年にニンジャ系のスタイルを取り入れた
“AR125S”を発売しテコ入れを計ります。
折にも世は“レプリカ非ズはバイクで非ズ”の時代にどっぷり入り、その
スタイルは峠小僧君達にも受け入れられず、ロータリーリードバルブ方式
自体すでに過去の技術と言う事も有り敢えてAR125Sをレースに使おうと
言う奇特な(?)人も少なくサーキットからAR125は消えて行きました。

では販売面はどうだったかと言いますと・・・
正確な販売台数は判りませんでしたが、1万台強は出ていたみたいです。
せっかくカワサキ初の(国内販売で)水冷ユニットを与えられたのにも関わらず
ほとんど話題にもならず当時の走り屋クン達も免許制度の関係で中型もしくは
50の方に目が行き「オレAR乗ってんだ。」なんて言いますと「50?もしかしてボア
アップで80?」なんて言われてしまってました。(今でもそうかも知れませんが;)
そんなこんなんで1991年にはカタログ落ちをしAR125Sは生涯を閉じました。

でもAR125も悪い事ばかりでは有りません。

国内では振るわなかった販売も125tがアツイヨーロッパ(特にイタリア)や盗難もとい;
東南アジアでは熱烈歓迎され90年代半ばまで販売は続けられていました。
125からバージョンアップしたAR150なんてのも販売され、タイカワサキからはこの
AR125からの発展型のKR150、ネイキッド版のベクター150が90年代前半に
国内発売され、現在排ガス規制で国内で死に絶えた2ストバイクの中でKRR150と
モデルチェンジし今も販売されております。

皮肉な事に国内で一番早く2ストスポーツ系から手を引いたカワサキが
今でも2ストスポーツ車を販売し、しかも一番マイナー車だったAR125の
末裔を販売しています。

ですので125オーナーの方々も卑屈にならず(?)これからもAR125を
大事に乗っていきましょう♪

なにせARシリーズのフラッグシップモデルなんですから。

 

〜AR125のインプレ〜

ここで最初に断っておきますが、私は125オーナーでは有りませんので
あくまで他のオーナー様達に聞いたインプレですのでここは違うとか
何か有りましたら私の所まで
メールを下さいませ。

最高速は140キロ〜150キロ チャンバー装着&キャブセッティング次第で
160キロ近く出たそうです。

ゼロヨンは15秒台中盤との事で今でも遅いと言う印象は薄く今でも何ら
遜色無く走ります。ってゆーかぁ〜今のフヌケなバイカー系バイクなら
相手にならない位速いそうです。

乗り味は低速も余り無くかと言って高回転にパンチが効く訳でもなく
4ストっぽいとまでは言いませんが、全体的にマイルドでいい言い方をすれば
乗り易く、悪い言い方をすれば2ストらしい高回転パンチが薄いみたいです。

とはいえそこは2スト125。街乗りでしたらタコメーター目一杯使い走れば
中型レプリカ、はたまたリッターバイクをも条件次第でカモるのも可能です。
欠点はサスがAR50/80までとは言いませんがへナ系で腰が無くアジャスタ調整
をお勧めです。フロントは出来ればルーニーのエアサス辺りでも入れた方が良い
みたいです。

 

 

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